2006年01月12日

“12”にちなんで

今日から待ちに待った新学期。
お正月をはさんで、長く休むと、体も頭もなまっていけない。
子ども達も、学校が始まることに内心ほっとしているのではないだろうか。
ロングの休み時間には、早速冬休み中に借りた本を返しに、
子ども達が図書室を訪れた。返した人から三学期の貸し出しスタート。
「先生、化粧が濃くなったね」
ひさしぶりに、憎まれ口を叩かれると、慣れてないせいかムッとする。
「若くなったのよ。今年でまた1歳若返るの」
これも、ウォーミングアップのひとつ、と思おう。

年初め、ということで、「12」にちなんだ本を二冊展示した。

12の展ヲ.jpg

「十二支のおはなし」(内田麟太郎・文 山本孝・絵 岩崎書店)

干支がどうやってできたのか、というお話で、毎年1月に登場する本。
他の時期にあまり日の目を見ないのは、「酉年」だの「戌年」だの
いってもてはやされるのも暮れと正月だけ、というのと似ている。
5月くらいになると、今年は何年だったか、忘れてしまうものなあ。
ウチの娘はこれを読んで、
「ねえ、これ本当にあったお話なの?だったら、私ネズミは嫌い。
だって猫が入ってないのは、ネズミのせいなんだもん」と言っていた。
確かに猫年がないのは寂しいが、猫はマイペースで個人主義。
新年の挨拶にわざわざ早起きするなんて、考えられない。
我が家のミュータントを見てもわかる。

「12の月たち」(サムエル・マルシャーク・再話 ダイアン・スタンレー・絵 評論社)

ボヘミア地方に伝わる民話。
継母とその娘にいじめられている美しい少女は、一月のある日
マツユキソウをつんでくるようにいいつけられる。
マツユキソウは三月にならないと咲かないのに、
つんでこないと家には入れないと言われ、吹雪の中追い出される。
娘が森の中あかりをみつけ、近づいてみると、そこには、
12人の美しい衣装を身に着けた人たちが焚き火をしていた。
この人達はどうやら、12の月の精だったようで、
娘はマツユキソウをつんで帰ることができたが、
欲をかいた継母と娘は森へ行ってこごえ死んでしまう。

この本は評論社刊だが、もう一冊、ミキハウスから出ていた。

12の月たちjpg.JPG  2冊の「12の月たち

ミキハウス(ジョン・シェリー 絵 鈴木晶 訳)の方は、少し内容が違う。
評論社の方は「マツユキソウ」をつんでこい、と言われるが、ミキハウスの方は「スミレ」。
また、スミレの後も継母たちは「イチゴ」「リンゴ」と少女に要求する。
民話は、もともと口伝えで広がっていったものだから、何種類かあるのもわかる。
また評論社の方は、スラブ民話をサムエル・マルシャークがロシア語に
再話したものなので、そのあたりの事情も関係あるもかもしれない。

どちらの本も美しいが、ウチの図書室には、評論社の方を置くことにした。

しかし、昔話に登場する継母というのは、どうしてこんなにイジワルなのか?
民話を集めたグリム童話でも、もともとは実の母親が子供を殺そうとした話が、
それではあまりに残酷なので「継母」に変えられた、という。
確かに、小さな子供に母親が読み聞かせてあげる時、
実の母親をそんな風に描いている本は選ばないかもしれない。
でも、最近は実の母以外の母と暮らす子供も増えているのでは?
現代の優しい継母達がかわいそう、と思ったのだった。


posted by Helenaヘレナ at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 図書室 本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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