どちらが一層醜いと思いますか?
「ひとりぼっちのかいぶつといしのうさぎ」(クリス・ウォーメル作・絵)徳間書店
この怪物は、「せかいでいちばん、みにくい かいぶつだった。」
動物達は逃げていくし、
花や草はあまりのみにくさに枯れてしまう。
空は曇り、池の水はかれてしまうほど。
かいぶつはさみしくて、石の動物をつくった。
でもその石もこなごなにくだけてしまった。
ただひとつ、石のうさぎをのぞいて。
怪物はじっと動かない石のうさぎと友達になる。
きっと、自分を受け入れてくれたような気がして
嬉しかったのだろう。
この怪物のみにくさは、実に劇的(激的)だ。
天変地異をもたらしてしまうんだから。
もうここまできたら、この偉大な“みにくさ”を
誇っていいと思う。
それをやってしまったのが、
ウィリアム・スタイグの「みにくいシュレック」(セーラー出版)
「みにくい両親から生まれたシュレックは、
両親より、もっとみにくい子でした。」
花はたおれ、木がのけぞってよけるのは、
「ひとりぼっちのかいぶつ」と同じ。
でも、シュレックは、そうされると、うれしいのだ。
人やけものが自分を逃げるのをみて、いい気持ちになり、
そのスキに、おべんとうを頂戴したりする。
こういうのを、前向きというのだろうな。
そしてシュレックは、自分よりさらに醜い王女と結婚し、
「まわりじゅうの生きものをおどかしながら、なかよくくらしたということです」
「ひとりぼっちのかいぶつといしのうさぎ」も
すばらしい絵本だと思う。
読んでいると、心がじーんと熱くなってくる。
でも、私はやっぱり「みにくいシュレック」が好きだ。なぜなら「ひとりぼっちのかいぶつ」は、
醜い=いけないことという前提に立って
かかれている。
“こんなに醜いのに、実は心は美しいんですよ”という論法だと思う。
見た目とその人の価値は関係ない。
私達は頭ではそのことをよく承知しているつもりだ。
それでも社会はどうしても美しいものの味方だから、
こういうお話ができたのだろう。
もし、自分がここまで激的に醜かったら・・、
やっぱり、「ひとりぼっちのかいぶつ」のように
さみしく引きこもってしまうのだろうな。
シュレックは、引きこもらない。
果敢に外へ冒険に出かけて行くのだ。
シュレックよりさらに醜い王女を守っている騎士はこう言う。
「城のなかには気高いばけもの」
「心やさしい」とか「心美しい」とかではなく、
「気高いばけもの」というところがいい。
できれば私も「気高いばけもの」になりたい。
ちなみに、「シュレック」と「ひとりぼっちのばけもの」
どっちが醜い?と、子どもにたずねたところ、
「シュレックー」と答えました。
シュレックも大満足でしょう。
そうなんですよね〜。他人の価値観も既成の価値観も
ものともせずズンズン行ってしまうシュレックは、
とっても魅力的です。
段々醜いはずのシュレックの顔が味わい深いステキな
顔に見えてくるから不思議です。
ところで、シーバスさんのお名前は、シーバス・リーガルに由来しているのでしょうか?
違っていたらスミマセン。私、シーバスが大好きで、
昔すごくクールで綺麗な猫にシーバスとつけていたものですから。あっ、ごめんなさい。猫と同じなんて。
ただ憧れの名前なんです・・・。
これからも寄っていただけたら嬉しいです!!
昔は図書室と児童文学大好き少女でしたが、最近はそんな本を読むことも無くなりました。
ヘレナさんのブログを読んだだけで、本を読んだようなお得な気持ちになってしまいます。ありがたいです。
また寄らせて頂きますね。
私のブログがお役に立てたようで、嬉しいです!!またぜひ見に来てくださいね!!