娘の学校―とは、つまり前任校である。
実は、先週もPTA役員会で行ったばかり。
その時は、離任以来はじめての訪問で、
まるで恋人に会うような気持ちで、有頂天で出かけていった。
懐かしい子供たちに、
「やっぱり、ヘレナ先生じゃないとダメだよ」
と言われれば、もう嬉しくて天にも昇る心持だったが、
そこは抑えて、
「大丈夫。新しい司書の先生の先生はすごくいい先生よ」
などと言ってみたりもした。
職員室に行けば、どの先生もやたらと愛しく見え、
在任中よりリラックスできたほどだった。
そして、図書室へ行くと、折りしも委員会活動の真っ最中。
今年度の年間活動計画を立てるため打ち合わせが行われていた。
そしてそこには、図書委員になった娘の姿が―。
「ハルナちゃん、お母さんがいなくなった途端図書委員になって、
一緒だといやだったの?」とお友だちから言われたそうな。
しかし、それより何より私がショックだったのが、
図書室がガラリと変わっていたことだった。
後任の司書は、友人でもあり市内の司書の中でも一番信頼している
ルミコさん。
いきなりの異動通告で唯一の救いが、この図書室に来るのが、
彼女だったこと。
そして彼女は、自分のスタイルとポリシーをしっかりと持った
司書だった。
だからある程度変わることは予想できたはずなのが、
しかし、ここまで生まれ変わるとは・・・。
書架を減らしたわけでも増やしたわけでもないし、
大きくレイアウトを変えたわけでもないのに、
(大体レイアウトはもう変えようがなかったので)
どうしたら、こんなにスッキリ美しくなるのだろう!
私がいた時には、あんなに込み合って窮屈だったスペースが
とても広々して見える。
私は、元の自分の図書室ではなく、彼女が新しく手がけた図書室を訪れているのだ、とその時思った。
図書室は司書次第。
やはりその中心は人なのだ。
訪問2回目の今回、見知らぬ1年生や転入生の姿がやたらと目についた。
そして懐かしい子ども達の姿もまた、どことなく新鮮でよそよそしく、
古巣はすっかり新しい場所になっていた。
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すべて良いほうへ変わるわけではなく、前のほうがいいことだってある。
必ずしもすべての子供にとって居やすい場所が整理整頓された場所とは限らないから。
自分との違いを痛烈に感じたときが自分が向上できるとき。
変わらない自分らしさはよしとして、さらにひとつ自分になかったものを見つけられれば、いつしかそれも自分のものにできるはず。
手放したものはもう戻ってはこないから。
たとえもどることがあっても、新たに共に生きるときには前のものとは違う形になるし。
本当は皆が信頼できる仲間で、どんな風に交代しても、必ずよりよくならなくてはいけないのだけれど・・・ここではそれは無理だと思う。
自分の森を早く居心地よい森に換えて、ヘレナさんらしい森にしてくださいね。
それは必ずあなたにできることなので。
期待しています!
そろそろ緊張も解け、ほっと一息ついたところで、再び現実に直面し寂しい思いを抱えていたので、思わず涙が出てしまいました。
私は市の学校司書としてお勤めしていたというより、あの学校の図書室で自由に呼吸していたといった感じだったので、どうして私があそこにいないのか、いまだよくわかりません。
でも、モーリーの言うように、過去に戻ることはできないし、永遠に変わらない、ことなんてこの世にはないのですから、早く慣れて新しい巣作りに励むべきなのでしょうね。
早くも五月病か????(笑)
子どもたちとの信頼関係だって、一朝一夕でできるものではないから、ゆっくりやっていきたいです。