2005年10月20日

1年生に読み聞かせ“なぞなぞのたび”と“たのしいふゆごもり”

今日は1年生の担任の先生が出張で留守なので、
子供たちだけで図書室へやってきた。
うん、1年生はいい。ゾクゾクします。
なんたってまだ人間になりきってないんだから。
いや、サルじゃないですよ。7歳までは神の子供っていうでしょ。

1年生も毎週図書室には来ているんだけど、
担任の先生が一緒にきて読み聞かせをやるので、
私がダイレクトに何かを伝えるのは、
四月に図書室の使い方をオリエンして以来はじめて。

お話だけじゃつまんないから、みんなの好きなナゾナゾをしよう!
と言ったら、声も体も(態度も)大きな男の子が「ボクなぞなぞきらい」
へえ、なぞなぞの本は人気だし、図書室に来る子は暇さえあればナゾナゾ
の出しあいっこをしてるけどな。

とりあげたのはこの本「なぞなぞのたび」(フレーベル館)石津ちひろ 文 荒井良二 絵

ギターをかつぎ、バケツのような帽子をかぶった旅姿の男の子が、
「じんせいは なぞなぞだらけ。よのなかも なぞなぞだらけ。
さあ、ぼくといっしょに なぞなぞのたびにでよう」
と哲学めいた言葉を口にしている。
扉を開くと、第一問目
「ゆきはおひさまでとける アイスはくちでとける だけどこれだけは あたまでしかとけない さていったいなあに?」
これが、解けたら、さあ、なぞなぞの旅に出発です。

なぞなぞのたび.jpg

左のページになぞなぞが10問、右のページの絵の中にその答えがかくれている。
右ページの絵を拡大コピーし、子供たちに見せながら、問題を読み上げる。

「さんぽのときはのんびり かいもののときものんびり うちにかえるときものんびり
なのになぜだか いつもむりをしてると おもわれているもの なあに?」
「はい!」とさっきの大きな男の子「る」(絵で一番目立つからか)
違う男の子が「太陽」う〜ん、おひさまもムリしてるかもね。
「むり」だよ「むり」と強調すると、ようやく女の子が「かたつむり」と
答えてくれた。こっちは簡単と思っても、子供にはけっこう難しいんだよね。

1ページに10問ずつ、この本一冊で100問のなぞなぞがのっている。
1ページ3〜4問ずつ出していったが、もう大さわぎだった。

「ぼく、まだ3問しか当たってない」と恨めしそうな目でぶちぶち訴える子。
手を挙げても当ててもらえないと、机につっぷして泣き出す子。
両耳を押さえて「うるさい!ハイは1回にしろ!」と怒鳴る子。
「ボクなぞなぞきらい」の理由はコレだったのか。
わかるなあ。私もキライになりそうだもの。
過去2つの学年で同じようにやったことがあったが、
今日が一番迫力あるかも。おまけにそれが七人という最少人数である。

でも、いいなあ、こんな風に言いたいことズバリと言えたらさぞ気持ちいいだろうな。
私も1度やってみようかな。
「私のやきそば(給食の)こんなに少ない」「会議長いよ。早く終って」
大人になってこんなこと言ってる人いないものなあ。
子供の頃ワンパクでも、大人になるともう別人みたいな顔してる。
あと二十年もたって、偶然会ったら(向こうが覚えてたらだけど)
「いやあ、先生お元気ですか?」なんて、しらっと言うんだろうな。
その時「あんた、昔私に、しわしわのオババ、とか言ったよね」と言ったらどんな顔するかな。

なぞなぞのせいで、クラスの空気がすっかりザワザワしてしまったので、
「たのしいふゆごもり」を読ん落ち着ついてもらうことにした。
昨日も紹介したけど、この本、本当に心がしっとりほかほかしてくる。
獲ってきた魚をだんろで焼く場面。
「まきは、パーン パチン、パチン パチン。
さかなは、ジューッ、ポト ポト ポト」
おいしそうなごちそうが並んだ食卓。
「きのみに きのこ。さかなに はちみつ。それから 
こんなに たくさん たべものをくれた もり、はやし、かわ、ありがとう」
と感謝を忘れないおかあさんぐま。
おかあさんに作ってもらったヌイグルミを抱きしめて、
だんろの温かさについ眠ってしまったこぐま。

おやおや、ついさっきまで、火になげこんだクリみたいに
パチパチいってた子供たちが、今は、しんとしている。
こぐまが採ってきた木の実みたいな黒い目を、
こちらにじっと向けて。

たのしいふゆごもり.jpg


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2005年10月19日

読書の秋です

読書の秋jpg.JPG

秋によく似合う本を展示した。
「読書の秋です。本の森にはいってみよう!なにがみつかるかな?」

読秋展ヲjpg.JPG

@「たのしいふゆごもり」片山令子 作 片山健 絵
A「なないろ山のひみつ」征矢かおる 作 林明子 絵
B「千年ぎつねの秋冬コレクション」斉藤洋 作 高畠純 絵
C「ぽととんもりのゆうびんきょく」こどものとも11月号 杉本深由起 作 白石久美子 絵

新しい本・季節・テーマなどに合わせて、本を展示するようにしている。
表紙を見せて展示すると、子供達は借りやすいようた。
書棚に埋もれたままだと、日の目を見ない本も、工夫次第というところ。
しかし、展示書架がないので、机に展示用のイーゼルを置いて展示するしかない。
また展示用イーゼルもけっこう高い。それで、まめに取り替えるという方法をとっている。
すてきな書架が欲しいなあ、予算請求しても大物なのでなかなか通らない。

秋の絵本の中で一番のオススメはやっぱりコレ。
片山令子さん健さんご夫妻の「たのしいふゆごもり」。
くまの母娘が、ふゆごもりを前に木の実を採ったり、はちみつを取ったり、
魚をとったり。でもわたつみはなんのため?と思ったら、
寝心地がいい枕と、こぐまのヌイグルミをつくるためだったんです。
このこぐま、まだひとりで眠れないので、一緒に眠るヌイグルミをつくって
もらう約束をした。ステキですねえ。取ってきた木の実を縫い付けて目にするんだって。

私も冬ごもりしたくなちゃった!
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2005年10月14日

読み聞かせ“見えるもの 見えないもの”最終回

3年生に行ってきた“見えるもの見えないもの”の読み聞かせも
今日で最終回。
3年生にはちょっと難しかったかな、と首を傾げつつ、
“自分の仕事に疑問を持つことはいいことだ”と
訳のわからない開き直りをして、なんとか最後を迎えることができた。

「今日は先週のフレデリックを思い出して、想像力をフルに発揮してもらいましょう」
「最初に読む本のタイトルはコレです」
「雨のにおい星の声」(赤座憲久 ぶん 小峰書店)の表紙を見せ、「この題名から、どんな本なのか想像してみてください」
「雨のにおい」は容易に想像できるが「星の声」となると詩的想像力が必要になるはず。
「では、最初にちょっと読んでみます」最初のページを読む。

雨のにおい星の声.jpg

「どしゃぶり」
雨が ふってきた
土くさい
土くさい
どしゃぶりだ(本文引用)

「こういう文を何というかな?」
女の子がおずおず手を挙げて答えてくれた。「詩」
そうですね。みなさんが、「どしゃぶり」という題名で詩を書くとしたら、こんな風に書くしょうか?
この詩は「土くさい」という、そう、匂いでしゃぶりを表現しているけれど、
みなさんだったら、どんな風に書くかな?
しばし、沈黙。ぽつりぽつりと「ハリケーン」とか「音」とかいった言葉が出てくる。
「では、どしゃぶり、ではなく、バラの花、という題名だったらどうですか?
そうだね、バラの色とか、形とか、書くね。でもこの詩を書いた人達はこんな風に書いたの」

「この花のにおい、子ネコの背中みたい」
「これは、毛糸のセ−ターみたい」
「この花 かいでごらん。フルートの音色みたい」
「リンゴの、しんのようなにおい」(本文引用)

「みんな匂いだね。さあ、これを書いた人はどんな人だと思いますか?
実はみなさんと同じくらいのこどもが書いたの。みなさんと同じなんだけど、ひとつだけ、みなさんとは違ったところがあります」
なまえ、とか、せいかく、といった言葉が出る。
「この本には、目の見えない子供達がかいた詩が収められています。
目が見えない人も詩を書くんだよ。詩というとみんなは目で見たものを書くことが多いかもしれないけれど、目が見えない人達は、どんな風に書くかな?まず、今、言った匂いだね。
他に何がある?」
「さわった感じ」男の子が嬉しそうに答える。
「そう、さわって確かめるんだよね」
動物をさわって粘土工作をした詩を読む。仏像をさわった時の会話を読む。
「他には?そう音だね」
ライオンのほえ声で、大きな口とキバを粘土で作った文を読む。植木鉢の土が水を吸い上げる音を書いた作文を読む。
「後は?そう大切なこと忘れてませんか?フレデリックだよ。想像力です」
この本に書いてあるけど、目が見えないと、テレビよりラジオでしょう、と普通の人は考えるけれど、目が見えない人はラジオのニュースは原稿をめくる音がしない、ラジオのスポーツ放送はアナウンサーがしゃべりすぎて、想像する余地がない、と思うようなのです。
「最後に4年生の男の子が書いた「星」という詩を読みます。
目が見えなくて1度も星というものを見たことがない人に、みんなはどんな風に星を説明してあげますか?」
「まるくて、光ってて、黄色くて」さっきの男の子がまたニコニコしながら答えてくれる。

         「星」
星は キラキラ光っているとみんんががいう。
ぼくは 星をしらない。
でもなんだか ネコのなき声みたいな気がする。(本文引用)

「ネコの鳴き声ってうまい言い方だね。この子は、きっと星がすごく見たかったんだろうね。
だから今まで経験した匂いやさわった感じや、音なんかを総動員して一生懸命星を想像したんだと思う。みんなも、普段目が見えない人のことなんかあまり考えないと思うけど、でも、たまには、自分と全く違う人、違う国の人とか,
違う境遇の人とか、目が見えない人とか耳が聞こえない人とかが、どんな風に考え、感じているのか考えてみてほしい、と思います」

次に“見えるもの、”の本を読みます。
「森の大きな女の子」(エヴェリン・ハスラー文 セーラー出版)

森のお大きな女の子jpg.JPG

人なみはずれて大きいせいで、森の奥深くに人目をしのんで暮らしている女の子。
ある日、森番が森にやってきて、女の子に一目ぼれしてしまう。
カーニバルに誘おうと女の子の家をたずねると、
大きな大きな女の子がすやすや寝ているのが目に入った。
森番は、女の子を起こさないように家を後にする。
カーニバルがあると教えてもらった女の子は、
「大女」に仮装したつもりで、出かけていくが・・・。

読み終わって、
「どうしてこの本を“見えるもの”の本に選んだのかわかりますか?」
誰も答えないので、
「今わからなくてもいいです。理由はいいませんが、考えてみてください」

終わった感想は正直苦しかった。
反応がないというのは、読んでる方にもつらいものだ。
今回に限らず、いわゆる福祉関連で、障害のある人の話をすると、
子供達は、大体黙り込んでしまう。
中には、本や私から目をそらしてしまう子も。
子供は本来明るくて楽しい話が好きだ。
だから負の要素には目をそむけてしまうのだろう。
でも、障害のある子は「そのネガティブな要素も含めて自分なのだ」
と言うに違いない。
この3回で読んだ本のひとかけらでもいいから、子供の中に残りますように。
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2005年10月13日

読み聞かせ“がまくんとかえるくん”から「クリスマス・イブ」

教科書に「おてがみ」が出てくるということで、
2年生の読書の時間では、アーノルド・ローベルの
“がまくんとかえるくん”のシリーズから、毎週一話ずつ読み聞かせてきた。
今日はその最終回、「クリスマス・イブ」。
シリーズの中で、私が一番好きなお話だ。

クリスマスイブpg.JPG

クリスマスの晩、がまくんはどっさりごちそうを作って、
かえるくんを待っていました。
でも、かえるくんは、なかなか現われません。
今何時だろう?と時計を眺めて、
はりが、こわれていることを思い出しました。
がまくんは、だんだん心配になってきます。
もしかしたら、かえるくん、深い穴に落ちて出てこられないのかも・・。
もしかしたら、かえるくん、森で迷ってこごえているのかも・・・。
もしかしたら、かえるくん、大きな獣におっかけられてるのかも・・。
がまくんは、綱と灯りとフライパンを持って、
かえるくんを救出すべく、走り出しました。
外に出ると、かえるくんが、プレゼントを抱えて立っていました。
かえるくんのプレゼントは、あたらしい時計。
二人は楽しいクリスマスイブを過ごすことができたのです。

こういう経験、私にもあるなあ。
好きな人を待っている時間って、とっても長く感じるんだよね。
もしかしたら、かえるくんも、そんなに遅れたわけじゃなくて、
がまくんが待ちきれなかっただけかもしれない。
時計がこわれていたからわからないけど。
かえるくんからプレゼントされた新しい時計が
時間を刻んで、がまくんはこの日初めて
充実した時を過ごすことができたんだろうね。

クリスマスイブ2.jpg

さて、六回に渡って読み聞かせてきた“がまくんとかえるくん”。
その中で1つ気に入ったお話を選び感想を書かせたい、と担任の先生から申し出があった。

@おちば Aあしたするよ Bなくしたボタン Cぼうし Dよていひょう Eクリスマスイブ

@おちば Bなくしたボタン Dよていひょう の三つが同じくらい人気があった。

「おちば」を読んだのは一ヶ月以上前、よく覚えてるなあ。
「面白かった」とか「ボタンがみつかってよかった」とか、率直で現実的な感想が多かった。
毎回、読み終わると第一声は「もう終わり?」だったもの。

“がまくんとかえるくん”は、どちらかと言えば、大人向けの話だと思う。
アーノルド・ローベルが描き出すユーモアは、温かくてしゃれている。
でも、ストレートではないので、表面的な内容はわかっても、
子どもには、その奥にある深い味わいまでは、なかなか理解できないだろう。
「おてがみ」もどうやって授業するんだろう?と疑問に思っていたら、
どうやら段落ごとにバラバラに分解するらしい。イヤだね。
そう思うと、今回の企画で「おてがみ」以外のお話にも触れられてよかったかもしれない。

最後に、“がまくんとかえるくん”よりも好きなヘレナ先生のお気に入り「ふくろうくん」を紹介した。

ふくろうくん.JPG

このふくろうくんのおとぼけぶりが、なんともかわいい。
たとえば「こんもり おやま」
ふくろうくんが ベッドに入ってねようとした時、
こんもりとしたおやまが目に入りました。
あれ、コレなんだろう?
毛布を持ち上げて中をのぞいても、何も見えません。
寝ているうちに、このこんもりくんが、どんどん大きくなっちゃったらイヤだなあ・・。
そう思うと眠れなくなるふくろうくんでした。

そこまで話した時、一人の子供が、大声で言いました。
「足だよ、足、自分の」
・・・あなたが悪いわけでは、全然ないのだけれど、子ども達よ、時々あなたがイヤになる。


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2005年10月12日

ハロウィンの本「モンスターをかこう!」

図書委員会の子達が、ハロウィン企画をしてくれたので、
その関連の本を展示している。

Book Batonの萌ぴょんさんが、紹介してくれた「ぼくモンスター」
子どもはもちろん、大人もクスリと笑える(大笑いじゃなくてね)楽しい本。
展示した後、早速貸し出しになりました。

もう一冊は、「モンスターをかこう! エンバリーさんの絵かきえほん」(エド・エンバリー作 徳間書店)

モンスターをかこう.jpg

どうやっても、「へのへのもへじ」と「あんぱんまん」しか描けない私でも、
この本の順番通りに書いていけば、あ〜ら、不思議、きゅうけつきや血すいコウモリ、魔女に骸骨、モンスターがスラスラ描けちゃうのだ。

きゅうけつきjpg.JPG

ためしに、図書委員会の子達に、いくつか書いてもらいました。

ハロウィン夜2.jpg  ハロウイン夜3.jpg

子オニに、まじょ、血すいこうもりです。
でも、書いてもらった子達は、みんな、この本を参考にしなくても上手に描ける子ばかり。
「ヘレナ先生が描けばいいじゃん」と言われ、
そうね、私が書いて初めてこの本の評価が下されるかも・・・。

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2005年10月07日

読み聞かせ“見えるもの 見えないもの”第2回

“見えるもの見えないもの”の二回目。
一回目は“時間とお金”だった。

今回は、まず本を一冊読み、
その話が“見えるもの”の話なのか“見えないもの”の話なのか考えさせることにした。

「フレデリック ちょっとかわったのねずみのはなし」(レオ=レオニ 作 好学社)

フレデリック1.JPG

フレデリックというちょっとかわったのねずみが主人公。
冬を間近に控え、のねずみ達は、トウモロコシなどの食料や、
あたたかなワラを集めるのに大忙し。
「ただ フレデリックだけは べつ」(本文引用)
フレデリックが集めているのは、「お日さまの光」「色」「言葉」。
冬になり、最初の内はよかったが、食料が底をつくと、みんなおしゃべりをする気にもなれなくなる。そこで、みんなはフレデリックが集めていた“モノ”を思い出す。

読み終わって、まず感想を聞いた。
「フレデリックのこと、どう思った?」
女の子がひとり手を挙げて答える。
「最初は、みんなが働いてる時に、さぼっていたけど、本当はやさしい人だった」
アリとキリギリスのお話を思い浮かべる子もいた。

そう、「アリときりぎりす」は、冬に向けて準備する働き者のアリに対して、
音楽を奏でて遊んでいた怠け者のキリギリスという設定だった。
怠けていると、その内困ったことになるんですよ、というイソップの教訓的な話。
(私は「アリとキリギリス」というふうに記憶しているのだが、本によって
「アリとこがねむし」だったり「アリとせみ」だったりする。??)

でも、この「フレデリック」はただ、さぼっていたわけではなかったのだ。
このお話を読むと、「人は(ねずみも)パンだけで生きるにあらず」と思う。
極端を言えば、パンがなくとも、想像力があれば、
生き延びることができるかもしれない。
フレデリックは、「想像力」を使って、飢えと凍えから、仲間ののねずみを、救ったのだ。

なんの文献だったかは忘れてしまったが、こんな話を聞いたことがある。
第二次大戦の頃、アウシュビッツ収容所に入れられていた、男性達はこんな方法で生き延びた。飢えと病気と不衛生がはびこる収容所の中、日に日に心もすさんでいく。
誰にもぶつけようのない憎しみや不信感が広がっていく、そんな時、ひとりがこう提案した。
「ここに、ひとりの美しいレディがいると想像しようじゃないか」若い男性にとって、美しい女性の存在は大きな励みになる。
本当は、男性と女性は違う建物に収容されていて、会う事はかなわないのだが、
彼らは、美しい想像のレディに対し、ジェントルマンとして振舞おうと心がけたのである。
人間、気持ちを強くもてば、ぎりぎりのところまで行っても、
なんとか持ちこたえることができるということだろうか。
彼らはなんとか生き延びて戦争の終結を迎えることができたという。

この話を子ども達にし、想像力はムダなものではなく、人間にとって必要な能力なのだ
と言った。
友達とケンカして、相手を思いっきり傷つけたくなっても、
相手の痛みや悲しみを想像することができれば、
思いとどまることができるかもしれない。

想像力は自分を救う道具なのだ。
でも、ハサミと同じように、使わないとさびついてしまう。
もっとこの能力を大事にしてほしい。

さて、では“見えるもの”の本。
「とても、絵がきれいなので、よく目を見開いて見てね」

「おかあさんの目」(あまんきみこ 作 くろいけん 絵 あかね書房)

おかあさんの目.JPG

せつこという女の子のおさない頃の記憶のお話。
ある時、せつこは母親の黒い瞳に、自分が映っているという不思議な事実を発見した。
自分以外にも、たたみやカーテンや窓。
こんなに入ってて痛くないのかしら・・。
そう尋ねるせつこに、おかあさんはやさしく、
「よおく見ててごらん。じいっと、息をつめてね。」と言い、
山や海、といった美しい風景を見せてくれた。
でも、部屋の中にも外にも、山も海もない。

かあさんの目場面.JPG

不思議がるせつこにおかあさんはこう言う。
「うつくしいものに出会ったら、いっしょうけんめい見つめなさい。見つめると、それがにじんで、ちゃあんと心にすみつくのよ。そうすると、いつだって目のまえに見えるようになるわ。」(本文引用)
あの山や海は、おかあさんが、小さいときに見た景色だったのだ。

心を開いて見つめる。そうすると、それが目のまえになくてもいつでも見ることができる。
心に納められたページを開いて。
「フレデリック」の想像力だって、こうやって見たものが源になっているのだ。

授業を終えて、3年生には難しかっただろうか?
もっと面白い笑える本の方がよかったのではないか?
自己満足になっていなかったか?
色々考えた。でも、まあ、いいや、と思うことにした。
お互いの目を覗き込んで、自分の姿を一生懸命さがしていた子ども達。
今はまだわからなくてもいい。
それに、面白い本は、誰か他の人が読み聞かせてくれるかもしれない。
もしくは自分で読むかもしれない。
自分では手に取りそうにない本をあえて読むのも、司書である私のお仕事さ。






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2005年10月04日

司書のお仕事??校庭でひとり泣いていた女の子へ

昨日の放課後、図書集会のビデオ撮りを終えて、子ども達と図書室へ引き上げる途中、低学年の女の子達に呼び止められた。
「せんせい、○○ちゃんがにらむんです」
「○○先生に言っておいてください」
担任の先生は会議中だった。
彼女達の視線の先を見ると、梅の木の下にひとり、ポツンと立っている女の子がいる。
「にらんでるようには見えないけどなあ。一緒に遊ぼうって声かけてあげれば?」
「誘ったのに、遊ばないんだもの」
だったらほっときゃいいじゃん、と思いつつ・・。
こっちの女の子グループも、あっちの女の子も一定の距離を保ったまま、
金縛りにあったように、その場を離れられなくなっている。
「わかった、後で先生に言っとくから。あの子のことは気にしないで」
そう言って、ひとりぼっちの女の子の方へ行った。
「みんなと遊ばないの?」と聞くと、何も言わずにどんどん行ってしまおうとする。
急いで、手を取り、「図書室に行かない?」と誘うとうなづいたのでほっとした。
こんな時、どうしたらいいかわからないけれど、とにかくひとりにしてはいけない。
幸い、図書委員の子ども達が後からついて来てくれたので助かった。
「一緒に行こう」などと、優しく年下の女の子の面倒を見てくれている。
本当に大人だよなあ、この人達は・・、と改めて感心する。

図書室に連れて来たはいいけれど、どうしたものか・・・。
以前、週に1度研修で中学校へ行っていたとき、「図書室登校」の子がいた。
教室に入れない子が、図書室で勉強しているのだ。
保健室登校のほかに、最近は図書室でもそういう子を受け入れているらしい。
昨年は、同じ市内の小学校で、司書の同僚が、やはり図書室登校の子の面倒を見ていた。
私個人の意見で言えば、図書室でそういう子を預かることには反対だ。
司書は本の相談を受けることはできても、心の相談には応じられない。
そういう訓練を受けていないし、司書はあくまで図書室のプロであるべきだと思う。

とはいっても、同じ学校の中でポツンとしている子がいれば、
ほおっておくわけにはいかない。
彼女が不安がっていることだけはわかるので、
肩を抱きしめて「大丈夫だよ」とか「いい子ね」とか、らちがあかない言葉を繰り返す。
図書委員の子達も気になるのか、なんとなく側にいて本など読んでいる。
こわばっていた体が少しほぐれて、しゃくりあげる声が聞こえてきた。
泣いたら落ち着いたのか、事情を話してくれた。
自分は遊んでいるつもりなのに、遊んでいないと言われた、という。
彼女のノリが悪く、他の子から見ると、つまらなそうに見えたのだろう。
大勢で遊ぶのが苦手なのかもしれない。
でもこの広い学校でひとりでいるのはつらい。

私も大勢で遊ぶより、仲の良い子と二人で遊ぶ方が好きだった。
その傾向は今でも、あまり変わっていない。
多人数だと何を話していいかわからない。
性格だから仕方がないが、つきあいにくい人と思われているかもしれない。

「無理してみんなと遊ぼうとしなくていいんだよ」
彼女にはそういった。
「クラスのみんなと仲良くしましょう」と言われても、できない子もいる。
協調性がないと悪いみたいに言われるけれど、それはもうその子の性分なのだ。

コッコさんのともだちjpg.JPG

「コッコさんのともだち」(片山健 さく・え 福音館書店)の、コッコさんも、いつもひとりぼっちだった。
「さあ、ふたりずつ てを つなぎましょ」と保育園の先生が言った時も、
だれと手をつなげばいいかわからない。でも、もうひとり、そんな子がいたのだ。
コッコさんはその日から、そのアミちゃんと仲良くなる。
「それから ふたりは いつでも いっしょ。
ふたりで いると どうして こんなに うれしいんでしょう」(本文引用)
でも、ある日、ふたりはケンカしてしまった。

多人数で遊べない子が、親友とケンカしてしまったら、どうしたらいいのか?
私にもそんなことがあった。
それも、つい最近。もうれっきとした大人だというのに。
心の底から打ち解けて話せる人と、些細なことがきっかけで、ぎくしゃくしてしまった。
親友だなんて思ってたけど、それはこちらの一方的な思いこみだったのかもしれない。
大人が友達関係で悩むと性質が悪い。
だって、親に相談するわけにもいかないし、先生に相談するわけにもいかない。
第一、気恥ずかしい。いい年をして、甘えてるみたいで。
それで、私はどうしたかと言うと、相談したのです、やっぱり。
ひとりで考えていると煮詰まってしまいそうで。やっぱり先生に相談しました。

「どんなに仲のいい相手でも、疎遠になる時期はあるものだよ」

その一言で、ふっと楽になった。
だから、あまり深刻に考えないほうがいい。本当に気の合う相手だったら、
また自然に元に戻るから・・と、その先生は言ってくれた。

コッコさんも、またアミちゃんと元通り、仲良く遊べるようになりました。

そして、校庭で泣いていた女の子にも、気持ちが通じ合う友達ができますように。
そう願うしかない。彼女にとって学校が楽しい場所になりますように。
そのために図書室が必要ならいつでも来てね!











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2005年09月30日

読み聞かせ“見えるもの 見えないもの”第1回

3年生を対象に、今日から3回に渡って、
“見えるもの 見えないもの”をテーマに読み聞かせを行うことにした。

“見えるもの”で一冊、“見えないもの”で一冊。

まず最初に子ども達に質問。
「見えないもの」って、どんなものがあるかな?
「空気」「霊」「風」という応えが返ってきた。
「におい」や「味」もあるよね。他には?「・・・・」

では、これは何のことでしょう?
「これから きみに はなすのは、目でみることも、耳できくことも、手でさわることも、
においをかぐことも できないものの おはなし。ただ かんじることは できて、いつも ぼくらと いっしょに いるもの・・・」(本文引用)

わからないようなので、続けて読みました。
「せかいが できる まえから あった ふるいもので、いままで ずうっと つづいてきたもの。きっと これからも ずうっと ずうっと つづいていくもの・・・。」(本文引用)

「どれくらい むかしに キョウリュウが いたのか、たんじょうびまで あとなんにちあるのか、おしえてくれるもの・・・。」(本文引用)

それは・・・「時計!」と子ども達。
「ブッブー、違います。正解は“時間”です。時間は見えないね。その見えないものを見える形にしたのが時計という道具です」。

はい。今日の“見えないもの”は「時間」 です。

「じかんがどんどん」(ジェームズ・ダンバー 作 評論社)

じかんがどんどん.jpg

時間って不思議。伸びたり、縮んだりもする。
楽しい時間は早く過ぎるし、つまらない時間はかたつむりが這うようになかなか過ぎない。
1分間で何ができるか?その前に1分の時間を実感させるため、
目をつぶらせ、1分経ったと思ったところで、手を挙げさせるゲームをした。
三十秒を過ぎたところで、早々に手を挙げる子が1人。
45秒くらいで、ほとんどの手が挙がった。1分ちょっと前に1人。惜しい!
1分過ぎても手を挙げない子もちらほら。「まだ53秒だよ」という子も。
「1分長かった?」と聞くと「長かった」。
意識すると長い1分も、ぼうっとしていると、瞬く間にすぎてしまう。
「急げ!」とは決して言わないけれど、時間を意識して過ごすことも時には大切かな。
こういうのどかな場所に住んでいるからこそ、時には。
そうじゃないと、私のようにあっという間に、何十回もの秋を経験してしまうことになる。
そういうと、みんな「へえ、すごい(回数)。全部覚えてる?」と聞いてくる。

「さて、では、今度は見えるもの。コレです」と言って、百円玉を取り出し、ビンに入れる。次々コインをビンに入れていく。
「こうやって、どんどんビンに入れていくと、目に見えて増えていくのがわかるでしょう」

今日の“見えるもの”は、「お金」です。

かあさんのいす.JPG

「かあさんのいす」(ベラ B ウィリアムズ 作・絵 あかね書房)の、主人公の女の子「わたし」は、かあさんとおばあちゃんの三人暮らし。
かあさんは、ブルータイル食堂でウエートレスをしている。
家には大きなガラスのびんがあって、かあさんはその日もらったチップをびんに入れる。
「わたし」も食堂を手伝ってもらったおこづかいを入れる。
おばあちゃんも節約した時入れる。

かあさんのいすビン.JPG

びんがいっぱいになったら、「ふわふわで、すごくきれいで、すごく大きい」いすを買う。
それは「バラのもようのビロード」がかぶっていなくてはならない。

「わたし」の家は、少し前の火事で、家がぜんぶぜんぶ焼けてしまった。
テーブルやベッドや食器なんかは、親しい人達がプレゼントしてくれたけど、ソファだけがないのだ。
かあさんは一日ウエートレスの仕事で足が疲れているのに、ゆっくり休むことができない。

お金がたまっていくビンの絵を見ていると、ワクワクしてくる。
それにこの「夢のいす」本当にステキ!

考えてみるとお金って不思議だ。
みんな大騒ぎして欲しがるけれど、本当はお金自体に価値はないんだよね。
いすや、机や本や、車や家や、旅行なんかと交換することで、初めて価値が生まれる。
この物語の家族は、目に見えるお金で、実は見えない幸福を手に入れた。
このステキな「いす」は幸福そのものだもの。本の絵を見るとそう思う。



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2005年09月27日

読み聞かせ“がまくんとかえるくん”から「なくしたボタン」

毎週、2年生の読書の時間に、
アーノルド・ローベルの“がまくんとかえるくん”シリーズから一話ずつ読み聞かせをしている。

昨日は、「ふたりはともだち」の本の中から「なくしたボタン」を読んだ。
がまくんとかえるくんがおでかけをして帰ってくると、
がまくんのうわぎのボタンがひとつなくなっていた。
「ああ、いやになっちゃう」と、へこむがまくん。
お気に入りの上着だったのでしょうね。
ついてないや、という気分。わかるなあ。
そんながまくんを、明るく励ますかえるくん。
「しんぱいごむよう」
そうして、二人は、がまくんのボタンを探しに、元来た道をたどります。

捜索の結果、かえるくんが、三つ、ボタンを拾いました。
そのほかにも、すずめや、あらいぐまが、
「コレ、君のじゃない?」とボタンを持ってきてくれて、
計5つのボタンをがまくんは受け取ります。
世の中失くしたボタンで溢れているみたい。
でも、結局がまくんは、
「どこも、かしこもボタンだらけなのに、ぼくのボタンはないんだよ!」
と言って、かんしゃくを起こして帰ってしまう。

がまくんは、気がつくべきだったのでしょうね。
ボタンは失くしても、一緒に探してくれる友達がそばにいる幸福に。

そうして帰ってみると、あれまあ、床に落ちているじゃない。
ほっとしたがまくんは、かえるくんにめんどうをかけてしまったことを、
反省します。
そうしてポケットから、自分のものではなかったボタンを5つ出して、
上着に縫い付けるのです。
ボタンの飾りがいっぱいのオシャレな上着の完成。
それをかえるくんにプレゼント。
がまくんは、ボタンを縫いつけながら、一生懸命ボタンを捜してくれた
かえるくんの顔を思い浮かべたのでしょうね。
プレゼントって、それを作ったり、買ったりしている間、
贈る人のことを考えている。
喜んでくれるかな? とか どれがいいかな?とか。
その時間がいいのだと思います。

ボタン5jpg.JPG

さて、本を読み終わった後に、ちょっとしたクイズを出しました。
かえるくんが、ボタンを見つけるたびに、がまくんは「違う」と言って、
理由を説明します。
「そのボタンはくろいもの。ぼくのは白いんだ」
「そのボタンはしかくいもの。ぼくのはまるいんだ」という風に。

それで、ボタンの絵を二つずつ見せ、
「どっちががまくんのボタンでしょう?」クイズを計5回しました。

ボタン2.jpg 「くろいボタン しろいボタン」

ボタン3.jpg 「あなが4つ あなが2つ」 「小さいボタン 大きいボタン」

ボタン4jpg.JPG「まるいボタン しかくいボタン」「うすいボタン あついボタン」

私は一回読んだだけでは、とても覚えられなかったのに、
子ども達は、ひとつも間違うことなく答えましたよ。
すごいなあ。


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2005年09月26日

図書室の書棚から“木になりたい”

「生まれ変わったら、木になりたい」
そう言うと、大体怪訝な顔をされる。
なんで?木なんて動けないじゃない。ずっとそこに立ってるだけだよ。
それって単なるなまけもの?
確かに、仕事がうまくいかない時とか、現実逃避として
そう思うことも少なくないけれど。
でも、本当に小さい時からそう思ってきたのだ。
もし生まれ変われるとしたら、私は木になりたい!と。

昔から、ぼんやり木を眺めているのが好きだった。
特に大きくて高い木。
今も、高くそびえる落葉松の梢が、空に揺れているのを、眺めていると心が安らぐ。
風に揺すぶられる時の“ザアっ”という葉音も好きだ。
木は、見ている者の精神まで、崇高な高みへと押し上げてくれる気がする。
私もそんな“木”になりたい。

そんな私の思いを、そのまま形にしてくれたような本がこれ。

「はるにれ」(姉崎一馬 写真 福音館書店)
はるにれjpg.JPG

文字はまったくない。
大地に立つ一本のハルニレの木の一年を追った、ただそれだけの写真集。
それだけと書いたけれど、これはすごいことだ。
一本の木に出会い、その木に寄り添って、一緒に時を過ごし、その思いを受け止めた結果の写真集。

厳しい冬を耐えて芽を出し、葉を繁らせる木の、静かなそれでいて強い意志を感じる。
「静」でいながら「動」。
静謐なのに脈打つような、熱い生を感じる。
凛として強く、それでいて、大地をも包みこむような優しさ。

この本を見ていて考え込んでしまった。
果たして私はこんな立派な木になれるだろうか?
こんなヘラヘラした根性では、生まれ変わったとしても、
こんな崇高な木になれそうもない。
もっと現世で修行を積まないといけないのではないだろうか?

それなら、生まれ変わっても、
やはり一人の人間として、いや一個の生き物として、
木の恩恵を受ける方を選ぼうか?(選べたらの話だけど)

「木はいいなあ」(ユードリイ作・シーモント絵 偕成社)は、そのタイトル通り、木の素晴らしさを、率直に、素直に、謳いあげた本。

木はいいなあ.JPG

木はいいなあ。
枝に登ると遠くまで見えるし、りんごの木ならりんごも採れる。
ぼうきれだって木からとれる。ぶらんこだってつけられるし、
なんていったって、暑い日にも、木陰に行けば涼しい。
嵐がきても、屋根が飛ばないように守ってくれる。
木を植えるといいよ。苗木は毎年すこしずつ、時間をかけて成長していく。

そう時間をかけて成長していくものなんですね。
生まれ変わったら、いきなり大木になっていた、なんて虫がよすぎる話。

う〜ん、でもやっぱり木になりたい。
地面に這いつくばるようにして生きていると、
ふと高い樹を見上げてそう思う。

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2005年09月21日

図書室の書棚から“おじいちゃんレンタルします?!”

19日は敬老の日でした。
貴方には、おじいちゃん、おばあちゃんが何人いますか?
4人?3人?2人?・・1人もいない人もいるかもしれないね。

「おじいちゃんの口笛」(ウルフ・スタルク作 アンナ・ヘグルンド絵 ほるぷ出版)に出てくる、ベッラという少年も、おじいちゃんがいませんでした。

おじいちゃんの口笛jpg.JPG

やっぱり、おじいちゃんは、いないよりいた方がいい。
だって、おじいちゃんは、会うといつもおこづかいをくれるし、
コーヒーだってご馳走してくれるし、
運がよければ、釣りにだって連れて行ってくれる。
ベッラはそんな気前のいいおじいちゃんのいる「ぼく」が、
うらやましくて仕方ありません。
「どうして、おれにはおじいちゃんがいないんだろう?」
となげくベッラに、ぼくは、
「おじいちゃんを手に入れられるところなら、しってる」と言うのです。
おじいちゃんレンラルサービス??

翌日二人が向かった先は、老人ホームでした。
そこで、ベッラは「おれのおじいちゃん」をみつけます。
おじいちゃんにされた、ニルスさん、最初はびっくりしていましたが、
「わたしはこの世にひとりぼっちだなあと考えていたら、おまえがきてくれた」
と感激した様子。
このニルスさん、ひょっとしてぼけてる?
ニルスさんは、突然の孫の出現がよほど嬉しかったのでしょう。
食堂でみんなに孫を披露するのです。
ベッラは帰り際、ニルスさんにおこづかいを要求します。
ニルスさんは、気前良く言われたとおりの額をあげるのですが。

この本を、4年から6年まで読み聞かせてきましたが、
みんなここで、憤慨するんですよね。
ベッラがお小遣い目当てで、ニルスさんに近づいたと思っている。
でも、ベッラはその後もずっと、ニルスさんのもとに通います。

ベッラを喜ばせたいニルスさんは、死んだ奥さんにプレゼントした大事な
スカーフと自分の上等なネクタイで、たこを作ってくれます。
ベッラも、ニルスさんの誕生日を祝うため大奮闘。
アルバイトをして貯めたお金で、絹のネクタイを買って贈ったり、
ニルスさんが子どもの頃、楽しかったという思い出を再現してあげたり。
この祖父と孫を見ていると、
愛するということは、相手のために時間と労力を費やすことなのだ
と感じます。
印象的なのは、ベッラからプレゼントを受け取ったニルスさんが、
「おまえみたいな孫がほんとうにいたらなあ」とつぶやくところ。
ベッラも「おれにも、おじいちゃんみたいなおじいちゃんがほんとうにいたらなあ」と言います。
二人とも、にわか仕立てのニセモノの祖父と孫であることを承知しているのです。
でも、このニセモノはホンモノ以上に強い絆で結ばれている。


さてタイトルの「おじいちゃんの口笛」ですが、
ニルスさんがいつも口笛を吹いているのを
うらやましく思ったベッラが、一生懸命練習するところからきています。
「こんど会うときは、おまえの口笛がききたいな」というニルスさんとの約束を果たすために。そしてベッラがニルスさんに聞かせるために老人ホームへ行ってみると・・・

センチメンタルな感じは全くなく、むしろ爽やかな秋の日のような清清しい結末。
今年も我が小学校では、近くの老人ホームを訪ねることになっています。
ベッラとニルスさんのようにはいかなくても、
何らかの絆が生まれることを願って・・・。
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2005年09月14日

司書のお仕事 「ならべかえことばクイズ」と「すずのへいたい」

運動会まであと三日。
残暑が厳しい中での練習で、子ども達もそうとうへばってきている。
こういう時に、寸暇を惜しんで図書室につれてきてくれる
先生って大好き!

その先生の意向に応えるためにも、
運動会とは全く関係のないことをやりました。

まずは、頭のストレッチ!
「ならべかえことばクイズ」

ひまなつり.jpg

「ひ・な・ま・つ・り(ひな祭り)」の言葉を並べかえるともう1つ言葉ができる。
絵に関係のある言葉です。さあ、なんでしょう?

さらうなよpg.JPG

卒業証書らしきものを手に持っている少女。
「さ・よ・う・な・ら」の言葉を並べかえてみてください。
ちょっとコワイですが、やっぱり絵に関係のある言葉ができます。さあ、なんでしょう?

こういうのを、十問くらいやりました。
最初とまどっていた子ども達も、だんだん乗ってきました。
疲れるかな?と心配だったのですが、
「先生、もっとやりたい」「楽しい!」という声で安心しました。

これは、石津ちひろさんの「ことばあそびえほん」(石津ちひろ 文 飯野和好 絵)の中の、ならべかえことば のページを拡大コピーして
答えを隠しました。この本には他にも、さかさまことば(回文)、はやくちことば があり、石津ちひろさんの本領発揮というところでしょうか。面白いですよ。

さて、「ひなまつり」は、「ひまなつり(ひまな釣り)」
   「さようなら」は、「さらうなよ」でした。できたかな?

時間がまだあったので、読み聞かせをしました。
本は「すずのへいたい」(H.Cアンデルセン 作 竹下文子 文 西巻茅子 絵 岩崎書店)

すずのへいたい1.jpg

「すずのへいたい」って小さい頃読んだことがあるハズなのに、
どんなお話だったか、はっきり覚えていませんでした。
読んでみると、ああ、そうだった、と思い出すのですが。
不思議な話ですよね。
すずが足りなくなったせいで一本足になった「すずのへいたい」がいます。
彼は、紙のバレリーナにひそかに恋をしている。
ある日、じっと彼女を見ていると、びっくり箱の小鬼が出てきて
「何見てるんだ?」とたずねます。
答えないすずのへいたいに、腹を立てた小鬼は、
「あさまで まってろよ!」という捨てセリフを残してひっこみます。
朝、へいたいは、窓辺から下に落ちてしまう。
そして近所のいたずらっ子が作った新聞紙の船に乗せられ、川に流されていきます。
その後、魚に飲み込まれたと思ったら、
その魚を買った家の台所で、魚のおなかの中から発見されます。
実はその家は元の家でした。
再びバレリーナに会えた喜びもつかの間、
すずのへいたいは、突然、子どもにつかまれストーブに投げ込まれてしまいます。
燃えながらもバレリーナを見つめるすずのへいたい。
その時、風が吹き、バレリーナがストーブへ飛び込んできました。
結局二人とも燃えてしまいましたが、
翌日灰の中に、ハートの形をしたすずのかたまりと、
バレリーナがつけていたボタンのかざりが、残っていたのです。

何の脈絡もなく、突然悲劇が次々とすずのへいたいを襲うところは、
不条理と言っていいくらいですが、
この悲劇を引き起こしたのは、一体なんなのでしょう?
やはり小鬼の呪いなのでしょうか?

また紙のバレリーナの気持ちはどうだったのでしょう?
すずのへいたいは人間的に描かれていますが、
バレリーナは紙として即物的に描かれていて、
彼女が本当はどう感じていたのかはわからないままです。
バレリーナもへいたいが好きで、自分からへいたいを追って
ストーブに飛び込んできたのか?それとも単なる風のいたずらだったのか?
最後まで謎として残されているところが、この物語に一層の深みを与えています。

すずのへいたいのハートと、バレリーナのボタンのかざりが
寄り添うように灰の中に残されているのを見れば、
バレリーナの気持ちがわかる気がします。

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2005年09月13日

図書室の書棚から“友達をクローゼットに閉じこめておきたい貴方へ”

リナと小さなドラゴン.jpg

“友達をクローゼットに閉じ込めておきたい貴方”ーとは私のことです。
そして、実際に友達を閉じ込めてしまった女の子のお話が
「リナとちいさなドラゴン」(ヒルデガルト・ミュラー作 BL出版)です。

リナはきっと友達のいないひとりぼっちの女の子だったのでしょう。
そこへ、小さなドラゴンがやってきました。
ドラゴンはリナの部屋のクローゼットの引き出しに住むことになり、
ふたりは友達になります。

一緒におにごっこをしたり、お話をしたり。
リナにとってドラゴンはかけがえのない存在になりました。
リナのためにドラゴンは、ハート型のみごとな炎をふいてくれたのだから。
それも「五日のあいだ、まいにちかならず」(本文引用)

でもある日、ドラゴンは、ドラゴンの国に帰りたくなった。
ホームシックというやつ。
「リナ、ぼくおうちにかえる」「だけど、すぐに また あそびにくるよ」
そう言ったドラゴンに、
「だめ!あんたは ここに いるの!」
リナはドラゴンをひきだしにおしこみ、ぴしゃりととじこめた。

この絵本、シンプルな絵と短い文章で、“友達関係”の本質をズバリと突いた
とても優れた作品だと思うのです。

私はリナのような、強情でひとりぼっちの女の子でした。
小学生の頃、転校してきた女の子を独り占めしたくて、
他の子と遊ばないで、と腕をつかんだまま放さなかった、記憶があります。
今考えると、イヤな子ですね。
でも、大好きな友達とはずっと一緒にいたいもの。
他の子とは遊んで欲しくない。私だけが彼女の友達でいたい。
そう思ったことありませんか?
そういう経験がない人は、人との距離のとり方が上手なのだと思います。

今、学校で子供達を見ていると、
みんなとても、うまく距離をとっているように見える。
子どもって、もっと執着心が強いと思っていたけれど、
実際のところは、サラっとしています。
ストーカーになる大人はいるけど、子どもはいない。
成長過程にあるからでしょうか、
スゴイけんかをしていたくせに、翌日には何食わぬ顔で、
手をつないで歩いていたり。
仲良しグループもめまぐるしく変わっていきます。
大人が思うより、子どもの心はずっとやわらかくて自由。
何事にもとらわれない柔軟さがうらやましく思えるほど。

そう思っていた矢先、図書室に落ちていた書きかけの手紙
「さいきん なんか冷たくないですか?○○ちゃんと・・・」
ドキっとしました。宛名も差出人もなく、どうしたらいいのか
わからないまま、自分のバックに押し込んだ。
バックがとても重く感じられました。

ひきだしにドラゴンをおしこめたリナは、
毎日ドラゴンの絵を描き続けた。五日の間ずっと。
「リナはせつなかった」(本文引用)
そしてリナはドラゴンをおうちに帰してあげる決心をするのです。

リナはどうして、ドラゴンを帰してあげる気持ちになったのでしょう?
幸せそうな友達の顔が見たかったから?

そして、成人したヘレナさんは、
どうにか、友達も恋人もクローゼットに閉じ込めることなく(コワイですね)
生きています。
それは、たぶんリナとは違う理由から。
常に形を変える雲のように、確かなものなどない、と
歳の功でわかったからかもしれません。
それとも、本当に心が通じ合った瞬間こそが大切なのだと、
ようやくわかったのでしょうか?

やっぱり子どもより大人の方が性質が悪いのです。



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2005年09月12日

図書室のオブジェ チェス

チェス.jpg

このチェエスは、私物です。
私が中学生の時、父が出張先の東京で買ってきてくれたもの。

盤とコマの下がマグネットになっていて、ゲーム中コマが転ぶわずらさしさがありません。
将棋すら知らない私ですが、チェスはコマの形が美しいから好きです。
キング、クィーン、ルーク、ナイト・・という呼び名も美しい。
買ってもらった当初は、父とよくゲームをしました。でも、負けてばかり。
チェスは相手の手を予想しながら、先をどんどん読んでいかなければならない、
そんな緊張感があって、気が抜けないゲームという気がします。

段々やらなくなり、腕は一向に上がらなかったけれど、
大学で東京へ行くとき、なぜか持っていった。
東京が好きで東京にお嫁に行く気分だったので(相手はいなかったけれど)、
花嫁道具のつもりで持っていきました。

小学校に置く気になったのは、図書室に将棋を持ってきた子がいたから。
最初の頃は、ちょっとしたチェスブームが起きました。
将棋ができる子は、とった相手のコマを使えないなんて、
と言っていましたが、チェスはそこが面白いところだと思います。
最後はホントに少ないコマで闘わなければならない、
でもそれで、突破口を見つけられたら、スゴイです。

チェスを題材にした本がないか、とずっと捜していましたが、
やっとみつかりました。
「デモナータ 一幕 ロードロス」(ダレン・シャン作 小学館)
大ヒットしたあの「ダレン・シャン」の作者の第二作目です。
このお話は、チェスが物語の鍵を握っています。
物語の始まりはちょっとショッキングで心配しましたが、
読み進めて行く内に面白くてやめられなくなる。
怖いところは最初だけなので、高学年向きに貸し出すことにしました。

チェスをする小学生ってカッコイイ!
この学校の中からグランド・マスターが出ないかしら・・・。




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2005年09月08日

司書のお仕事 読み聞かせ「おちば」がまくんとかえるくんのお話

2年生の国語の教科書に
アーノルド・ローベルの「おてがみ」というお話が出てくる。

ふたりはともだち.jpg

これは、がまくんとかえるくん という二匹のカエルが繰り広げる短編集で
「ふたりはともだち」「ふたりはいつも」「ふたりはいっしょ」の三冊がある。

「おてがみ」は、1度もおてがみをもらったことのない がまくんに、
かえるくんが、こっそり手紙を書き、喜ばせてあげようとするお話。
でも手紙を託した相手が、かたつむりだったので(この辺が微妙におかしい)
手紙が届くまでものすごく時間がかかる。(実のところ四日かかってしまった)
かえるくんは気が気ではない。
「ぼくに てがみを くれる人なんて いるとはおもえないよ」
と言うがまくんに、つい、かえるくんは、手紙を出したことを打ち明けてしまう。
そしてその手紙に書かれた内容も。
内容も差出人もわかった手紙を、
ふたりはとても幸せな気持ちで待つのだ。
さあ、手紙にはなんと書かれていたでしょう?
こんなこと言われたら、ずっと幸せでいられるな・・、
と思われる、魔法の言葉です。

これが教科書に載っているお話。
今日2年生に読み聞かせるお話は、
同じ“がまくんとかえるくん”の中の「おちば」です。
担任の先生から、二人で読み聞かせたいという提案があり、
担任の先生はがまくん役、私はかえるくん役と地の文章を読むことにしました。
25人と我が校では、二番目に多いクラスなので、
挿絵が見やすいように、拡大コピーし、紙芝居風にしたてました。

がまくんとかえるくんjpg.JPG

この絵は、がまくんとかえるくんが、相手を喜ばせようと思い、
それぞれの家に出向いて落ち葉かきをしているところ。
二人とも、
「がまくんは(かえるくんは)庭がきれいになってびっくりするだろうな」
と嬉しくて仕方ありません。
しかし、二人が去った後、一陣の風が・・・、
庭は落ち葉だらけの元の庭に戻ってしまいました。
そんなことも知らない二人は、
「明日は、うちの庭掃除をしなくっちゃ」と思いつつ、
親友の喜ぶ顔を想像しながら、幸せな眠りにつくのでした。

こんなとびっきりステキな親友がいたらいいよね・・。



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2005年09月05日

司書のお仕事 廊下掲示「雲の名前」

最近、空を眺めることが多い。
きっかけは、「空の名前」(高橋健司 写真・文 角川書店)
という本を買ったことだった。

本と花jpg.JPG

「本書は、空や天候、季節の移ろいに関する日本語を、それをイメージした写真と共に紹介する歳時記風天気図鑑です」(本文引用)
この本の写真があまりに美しかったので、図書室の廊下の掲示に使わせてもらった。


題して「雲の名前」。
秋は空が美しい季節である。空を見上げると面白い雲がたくさん浮かんでいる。
こんな雲見たことある?たまには空を見上げてみようよ!

気象観測では、雲は基本形によって十類に分類されるそうだ。
巻雲という言葉は知らなくても、筆でサッと描いたような薄い雲は秋の初めによく見るし、
巻積雲のうろこ雲も何度か見たことがある。

この掲示を作ってから、雲が気になるようになった。
鬱屈した思いを抱えて、ついうつむいてしまいそうになる時、頭を上げると、
様々に美しい雲が、空いっぱいに広がっている。
暗く固まった気持ちも、孤独も一瞬空に解放される。

デジカメを持ち歩き、
面白い雲、気に入った雲を撮っています。
題して「雲の展覧会」見てください。

雲3.jpg 鳥みたいな雲。アヒルかな?

雲4.jpg これも鳥。飛んでいる鳥。

雲7.jpg これは、羊雲。

雲8jpg.JPG 雲の展覧会

雲9.jpg これが巻雲

雲10jpg.JPG さざなみ みたい。

雲6.JPG 夏の終わりの入道雲

八岳ふしぎ雲.jpg


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2005年09月01日

司書のお仕事 読み聞かせ「ひとつぶのえんどうまめ」「ぼくだけのこと」

読み聞かせをする本を選ぶのは難しい。
選び方として、季節に関係した本、今話題になっている事柄に関係した本、
学校行事に関係した本、自分の好きな本、などいくつか要素はあるが、
読み聞かせるクラスがどんなカラーかによっても、
読む本は変わってくる。

今日読み聞かせをした3年生は、
賢く個性派揃いの11人である。
1年生の時から“ちょっと大人びた振る舞いをしたい”感じの
おすましさんが多い。

最初の一冊は、
地震を想定した避難訓練を午前中したことと関連づけて、
「ひとつぶのえんどうまめ」(こうみょうなおみ作・絵 BL出版)を選んだ。

ひとつぶのえんどうまめ.jpg

えんどうまめのさやからころがりおちた、一粒のえんどうまめが、
ころころころころ転がって、川に流され、海に浮かび、風に飛ばされて、
砂浜にたどり着く。そこで、つるを伸ばし、小さな花を咲かせる、
というシンプルなお話。

自分の落ち着く場所を求めて冒険するえんどうまめの話だが、
絵がとてもいい。えんどうまめの表情はかわいいし、
とりわけ透明感ある鮮やかで優しい色に魅かれる。
これが、目が見えない人の作り出した色だとは、
失礼だけど、とても信じられない。

作者は、阪神大震災の混乱で、目の病気が悪化し、失明。
「針金で形ととって原画を描いた作者の創意を生かし、
絵の輪郭が浮き上がるような特殊なインクを使用しています」
とあるように、目を閉じても触ると形で絵がわかるようになっている。


子ども達に目を閉じてページに触ってもらった。
みんな夢中になって撫で回している。
「あっ、ほんとだ、スゴイ!」

こういった絵本を作る出版社も偉い。
そして、やっぱり、
見えない目で、どうやってこんな複雑でやさしい色を
生み出したのか、その謎を知りたいと思う。

もう一冊はガラリと雰囲気を変えて、
「ぼくだけのこと」(森絵都 作 スギヤマナカヨ 絵 理論社)

ぼくだけのこと.JPG

YA系の本が多い人気作家、森絵都さんの絵本だ。
これは、“ようたくん”という小学生の男の子の「ぼくだけのこと」
が描かれている。
兄弟の中でぼくだけえくぼがあって、五人家族の中でぼくだけ蚊にさされる。
なかよしグループの中ではぼくだけさかだちができて、
25人のクラスメートの中でぼくだけ芸能人のサインをもってない。
445人の学校の中でぼくだけ・・・・
近所のヒトの中でぼくだけ・・・・

世界中でこんな僕は、ひとりだけ!
また今日もみつけよう、ぼくだけのこと!

「ぼくだけのこと」をみつければみつけるほど、
世界でたったひとりの僕が大切に思えてくる。
わかってくれるかな、と不安だったのだが、
子ども達は理屈ではなく、絵本のもつ面白さに反応したのだろう。
クスクス笑いが何度も起こった。
さすが、感受性の鋭い11人!

みんなも「ぼくだけのこと」「わたしだけのこと」ってあるでしょう?
と問いかけてみると、
「家族で私だけハチにさされたことがある」
「クラスでぼくだけ耳を動かせる」
「兄弟でぼくだけ体が弱いんだ」
「ぼくだけ野球選手のサインをもってるよ」
たくさん出てきました。
とってもステキな11人の大切な「自分だけのこと」。




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2005年08月31日

図書室の書棚から “いい先生ってどんな先生?”

学校には先生がいっぱいいます。先生だらけ。
私だって先生と呼ばれているくらいなのだから。でも・・、
“いい先生”って、どんな先生なのでしょう?

いい営業マンは商品をたくさん売ることができる人だし、
いい大工さんは、確かな技術でお客さんの望む家を建てられる人です。
ちなみにいい司書は、
資料を熟知し、利用者を熟知し、その両者を結びつけることができる人、
だと本には書いてあります。
こうやって考えると、いい仕事をしているかどうかは、
技術(テクニック)によって計られる場合が多いようです。

でも、学校の先生はどちらかというと人間性によって計られることが多いような気がします。
いい先生=いい人???
私は尊敬できるいい先生を1人知っています。
その人は、確かに人柄も良かったと思います。
でも同時に高い技術を持った先生だったと思います。
子ども達から信頼されなければ先生は勤まらないけれど、
信頼されるためにはテクニックが必要なんだ、と
私はその人から教わった気がします。
テクニックというと冷たい感じがするけれど、
子どもの気持ちを理解して、的確な対応をするためには、
専門的な技術が必要でしょう。

そういう観点から、いい先生について書かれた本を二冊。

ありがとうフォルカー先生jpg.JPG

「ありがとう、フォルカーせんせい」(パトリシア・ポラッコ作・絵)岩崎書店

トリシャは絵がとても上手。
でも本をよもうとすると、字がくねくねした形に見えて、さっぱり読めません。
そのせいで、クラスメートにばかにされ、自信をなくしていきます。
新しく担任になったフォルカー先生は、トリシャの絵をみんなの前でほめてくれ、
今までと全く違ったやり方で字を教えてくれました。
そのおかげで本が読めるようになったトリシャ。
トリシャは作者パトリシア・ポラッコの子供の頃の姿でした。

トリシャは、LD(学習障害・・知的発達に遅れはないのに、学習面で習得の困難さを示すこと)ですが、フォルカー先生に出会ったことで、本来の自分を取り戻し、新しい世界を発見することができました。
フォルカー先生も素晴らしいですが、トリシャのおばあちゃんもとてもステキな人です。
「わたしってみんなとちがう?」
不安げにそう尋ねるトリシャに、おばあちゃんはこう答えるのです。
「みんなとちがうってことは いちばん すてきなことじゃないか」

てん.jpg

「てん」(ピーター・レイノルズ作 あすなろ書房)

トリシャは絵が上手でしたが、この主人公のワシテは絵が大の苦手。
「おえかきのじかんがおわった。でもワシテはいすにはりついている。かみはまっしろ。」
せんせいはそれを見て、「なにかしるしをつけてみて」と言います。
ワシテは腹立ちまぎれに、点をひとつ紙につけました。
せんせいはワシテの描いた点をじっくりながめると、ひとこと。
「さあ サインして」
次の週、ワシテの描いたあの点が、立派な金色の額縁に入っているではありませんか。

絵は本来きまりのない自由な自己表現です。
このせんせいはそのことをワシテに気づかせてくれたのですね。
コンプレックスにがんじがらめにされて固まっていたワシテ。
額縁に入れられた最初の点は、そんなワシテ自身が描かれています。
その点がきっかけで、豊かな点をどんどん描けるようになったワシテ。
自信と勇気を与えてくれたせんせいへの感謝のしるしに、
今度はワシテが展覧会を見に来てくれた男の子に言うのです。
「おねがい・・・・サインして」



posted by Helenaヘレナ at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 図書室 本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月29日

司書のお仕事 図書委員会活動支援

今朝はドキドキしながら、少し早めに図書室に到着。
金曜日腹痛で早退したため、
二学期最初の委員会活動に出席できなかった。
今日の学校集会で、
図書委員会は1学期たくさん本を読んだ人に賞状を渡す。
賞状や賞品はちゃんとできているだろうか?

賞状jpg.JPG

えらい!!しっかり17人分できていました。
かわいい絵が書かれた封筒には、
子ども達手作りのメモ用紙やしおりが入っている。

本をたくさん読んだ人に賞状を贈る、という活動は、
図書委員会の伝統的な活動のひとつだが、
冊数で競うという点に疑問を感じ、昨年から内容を変えた。
冊数以外に、ジャンル別の賞を設けたのだ。
今回の賞は次の通り。

全校1位〜3位・・・・これは借りた冊数が多い人にあげる賞。
          やっぱりお得意さんはありがたい。
ねずみくん賞・・・ 絵本「ねずみくん」シリーズをたくさん借りた人に。
お料理賞・・・・・・「お料理の本」をたくさん借りた人に。
おばけ賞・・・・・・おばけや怪談など、こわい本をたくさん借りた人に。
スポーツ賞・・・・・サッカーや野球など、スポーツが上達するための本を借りた人に。
ズッコケ三人組賞・・「ズッコケ三人組」シリーズをたくさん借りた人に。
文学賞・・・・・・・長編小説や、自分が普段読まないようなお話の本に挑戦した人に。

去年は「ゾロリ」賞や「にんたまらんたろう」賞、
「ハリーポッター」などのファンタジー賞も表彰した。
こういう賞を設けると、あまり数を読んでいない子でも表彰の対象になるのでいいのだ。

子どもにとって全校の前で表彰されるのは、やはり嬉しいらしい。
本来読書は評価の対象ではないと思うけれど、
お勉強やスポーツや図画工作や習字がダメでも、
賞をもらえる可能性があるのはいいことだ。
それも好きなことをたくさんやれば賞をもらえるのだから。

賞状や賞品を作った図書委員さん達ご苦労さま。
学校集会で、賞状を読み上げた六年生の委員長さん、副委員長さん、
立派でした!みんなに喜ばれて良かったね!
先生はうれしいよ〜ん!

posted by Helenaヘレナ at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 図書室 本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月26日

司書のお仕事 読み聞かせ「おかあちゃん おかあちゃん むかえにきて」

朝起きるとお腹が痛い!
昨夜ビールを飲みすぎたせいか、
それとも給食の冷凍みかんがあたったのだろうか?

薬を飲んで落ち着いたら学校へ行こう!
腸がぎりぎりねじれてる感じ。立てない・・。
でも今日は、二学期最初の委員会活動があるのだ。
図書委員会は月曜日の学校集会の時、
「一学期本をたくさん読んだ人」へ賞状をあげることになっている。
今日はそれを作らなくてはならない。
昨日、図書委員長と6年生の子達に、
大体の説明はしておいた。
アイデアも抜群の彼らならできるとは思うけれど。

少し収まったところで、這うように学校へ行く。
仕事に集中していると少しはいいみたいだが、
時間がたつにつれ、また痛みが襲ってくる。

最近体調を崩すとお腹にくるのだが、
もう病院へは行かないぞ!と思う。
以前はかかりつけの病院によく行った。
この先生、前勤めていた総合病院で外科専攻だったせいか、
やたらレントゲンを撮るのが好きときている。
レントゲンを撮るなんて悪い病気なのだろうか、とびくびくしていると、
「便秘ですね。ほらここにつまっているのが全部・・・」
(後は恥ずかしくてかけません)
一応花も恥らう乙女と、本人は思っているので、
自分の腹の中の写真を見せられ、この診断を下されるのはもうイヤ!なのです。

そういうわけで、痛みに耐えているところに、
三年生が読書の授業にやってきた。
夏休み中かりていた本を返し、新しく借りると、
担任の先生から、この本を読んでもらえませんか?と
「おかあちゃん おかあちゃん むかえにきて」
を渡された。戦後60年ということらしい。
まあ、毎年夏になると戦争の本を読み聞かせてほしい、というリクエストが多いのだ。

事前に本がわかっていれば、必ず二回くらいは練習しておく。
読み聞かせは大事だ。ただ読めばいい、というものではない。
自分の“解釈”が“読み”に出るのだ。
でもこれは以前にも読んだことがあるから大丈夫だろう。

立っていると、重心が下にいき、お腹がますます痛いので、
座って読ませてもらうことにした。

「おかあちゃん おかあちゃん むかえにきて」は、疎開先の話である。
島根に疎開に行き、最初はいいのだが、段々悲惨な状況になってくる。
ノミ、シラミはわくし、いじめもある。
作者の体験談らしいのだが、
家を離れるとやはり子どもにとって一番恋しいのは、おかあさんなのだろう。
本に没頭しているつもりなのだが、
お腹が痛いせいか、いつものように集中できない。
物語の内容も影響している。
辛い時に辛い話を読むと、一層辛くなってくる。
食べ物がなんにもなくて、お腹の薬を一瓶飲んでしまった、
というところで、脂汗がにじんできた。
お父さんは戦死、お母さんも、おねえちゃんも妹も空襲で死んでしまった。
最後は「おかあちゃん、おかあちゃん、むかえにきてえ」で
終わるのだが、あまりの痛みに迫真の読みになってしまった。

読み終わって子どもたちを見ると、
涙を拭いている子が何人かいた。

結局、委員会のある6時間目まで我慢できず、
自主的に早退してきてしまった。
図書委員さん達ごめんよ。
後を頼む!!
posted by Helenaヘレナ at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 図書室 本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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